PROFILE
横田光弘プロフィール
父親が商社に勤めていたこともあり、小さい頃から英語を学んでいました。
そのおかげで学生の時はアマチュア無線を通じて世界中に友人ができ、交流を積み重ねることで多くの経験をすることができました。
私自身です。
#1 自己紹介
血液型
O型
最終学歴
慶應義塾大学工学部機械工学科
家族
母と妻と子供夫婦と孫娘
趣味
ケーナ吹き
アマチュア無線(第1級アマチュア無線技士)
好きな食べ物
焼肉
いんげんの天ぷら
好きな音楽
70’s 80’s国内外ヒット曲
Jethro Tull
チャイコフスキー
私が歩んできた道
#2 略歴
昭和51年6月
米国ニュージャージー州立Northern Valley Regional High School Old Tappan校卒業
昭和52年3月
慶應義塾志木高等学校卒業
昭和56年3月
慶應義塾大学工学部機械工学科卒業
昭和56年4月
財団法人松下政経塾入塾(第2期生)
昭和62年4月~平成3年4月
神奈川県議会議員
現在
IT会社経営
人生に多大な影響を
#3 三人の恩師
一人目は公立中学校に通っていた時の数学を教えてくれた吉田先生です。
吉田先生は私に数学の面白さを教えてくれました。今でも思い出す黒板に軽妙に記される方程式の展開。もともと科学技術に興味のあった私は、その面白さに夢中になりました。
二人目は松下政経塾の塾長だった松下幸之助翁です。
松下政経塾に入塾するまで、私は政治に関与する機会など全くありませんでした。しかし大学生時代のバイトの昼食時、ふと週刊誌のグラビアに第一期生の入塾の様子が掲載されているのを見て、私は次の進路を決めることができたのです。祖父が大好きだった「水戸黄門」のスポンサー企業オーナーくらいの認識しかなかった私は入塾後、米寿の松下幸之助塾長のスケールの大きさに圧倒されました。
三人目は末次一郎先生です。
大学生の頃から、自国民に塗炭の苦しみを与えている当時の「ソ連」に興味を持ち、研究を続けていた縁で末次事務所の門を叩くことになりました。
戦後の日本の復興の一環として、民間人でありながらも、抑留者引き揚げ運動、72年核抜き本土並みを実現させた沖縄返還活動、北方領土返還に向けた日本とソ連・ロシアの学者との定期的対話「日露専門家会議」の主宰、青少年教育改革運動など、歴史に残る仕事を達成してきた末次先生を書生として間近に見ながら、自らの向かうべき人生の道を知ることができました。